暁斎KYOSAI-近代へ掛ける橋@京都近代博物館
暁斎KYOSAI-近代へ掛ける橋@京都近代美術館
まいどです。
たまには家族で日本っぽい所へ!と言う呼びかけで
親子三代で京都に行ってきました。
めずらしい。
ARTにすんごい早いおばあちゃんの情報で
京都国立博物館でやってる河鍋暁斎を見に行きましたよ。
「泣きたくなるほど、おもしろい」
なんなんそれ!?!?余計気になる!
いざ京都へ。
河鍋暁斎は幼い頃から絵を好み、父は暁斎を浮世絵師歌川国芳に、続いて駿河台狩野派に学ばせた。暁斎は早くから頭角を現し、師の前村洞和はその画才を賞して「画鬼」と呼んだという。幕末から明治の時代、狩野派の絵師は最大のパトロンである幕府の崩壊という厳しい状況に追い込まれるが、暁斎はその画力と反骨の精神を生かして浮世絵を出版、本に挿絵を添え、書画会では求めに応じて無数の作品を描き上げ、さらには来日する外国人に作品を提供するなどして、苦しい時代を巧みに生き抜いていった。
暁斎は無類の酒好きとしても知られるが、生涯を通じてあらゆる表現を探究し続けた極めて熱心な絵師でもあった。土佐派や四条円山派などの伝統的なものから、浮世絵や西洋画に至るまで知りうる限りの画法を研究し、同時に仏画や山水画などの伝統的な画題から、世相を反映した戯画や風刺画まであらゆる主題に精通した。
晩年の明治20年には東京美術学校が開校し、近代国家にふさわしい日本美術のあり方が模索されてゆく。暁斎はこの時流とは一定の距離を取っていたこともあり、今日では必ずしも美術史の中心には位置づけられていない。しかし聖と俗、貴と賤をない交ぜにした暁斎の作品は、江戸から明治への転換期の混沌とした様相を鮮やかに描き出している。
印象深かった、幽霊図と惺々狂斎画帖(三)
なんでも知らないというのは損してるなあと思いました。
特に浮世絵とかはよくよく見ると面白かったり、逸話があったり。なんとも興味深いです。
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